浅草寺は「浅草かんのん」の名称で、全国の人から親しまれ、
わが 国の観音霊場の代表的な寺院となり今日におよんでいます。



浅草寺縁起

 推古天皇36年(628)の早朝、檜前浜成・竹成の兄弟が江戸浦(現在の隅田 川)で投網中に一躰の仏像を感得しました。郷司であった土師中知はこれを拝 し、「聖観世音菩薩」のお像であることを知り、3人で深く帰依したというの が浅草寺の草創です。のちにこの3人は「三社権現」(今の浅草神社)として 祀られました。  平安初期に慈覚大師が来山し、「お前立」のご本尊を謹刻され、のちに「中 興開山」と仰がれることになりました。鎌倉時代には将軍の信仰も厚く、その 外護のもとに伽藍もととのいましたが、とくに江戸時代にいたって徳川幕府の 祈願所となり、いよいよ堂塔の威容も増して大江戸文化の一翼をにない、庶民 安息の浄地となりました。  かくして浅草寺は「浅草かんのん」の名称で、全国の人から親しまれ、わが 国の観音霊場の代表的な寺院となり今日におよんでいます。  その間、戦災で堂塔伽藍を失いましたが、十方信徒の方々の尊いお力添え で、昭和33年(1958)10月に観音堂が立派に再建されました。ついで雷門が 95年ぶりに、仁王門が寺宝を収蔵する宝蔵門として、五重塔が永代供養の霊 牌を奉安する塔院として復興されました。

浅草寺ガイドより抜粋 
 


 浅草寺略年表
推古36 628 本尊示現 3月18日檜前浜成・竹成の兄弟、本尊聖観音菩薩像を感得し奉安する。
大化1 645 開基 勝海上人浅草寺に留錫し、本堂を修造市夢告により本尊を秘仏と定む。
天安1 857 中興開山 慈覚大師円仁、浅草寺に留錫し、御前立本尊観音像、御影版木を謹刻す。
天慶5 942 平公雅、堂塔伽藍を建立す。
延久2 1070 八幡太郎源義家、奥州征討の途中浅草寺に戦勝を祈願す。
治承4 1180 源頼朝、平家討伐の戦勝を浅草寺に祈願す。
天文8 1539 小田原北条氏直、浅草寺を再建修造す。
天正18 1590 4月徳川家康、浅草寺を祈願所に定め、寺領五百石を寄進す。
元和4 1618 4月徳川秀忠、浅草寺山内に東照宮廟を建立す。
寛永12 1635 この頃伝法院庭園なる。小堀遠州作と伝う。
慶安2 1649 12月徳川家光、本堂等を再建す。
承応3 1654 3月浅草寺初めて開帳を執行す。江戸の寺院で最初の開帳。
寛文12 1672 5月霊元天皇より勅願所の綸旨を賜う。
正徳2 1712 1月昼夜不断の温座陀羅尼秘法行わる。以降恒例となる。
安永1 1772 2月目黒行人坂より失火、江戸大化となる。伝法院焼失。
慶応1 1865 12月田原町より失火、雷門及び山内支院14ヶ院炎上す。
明治4 1871 9月高仲貞運尼、元版一切経を浅草寺へ寄進する。輪蔵建立さる。
明治30 1897 10月菊供養の行事初めて営まれる。
明治43 1910 8月大洪水に際し、傷病者に医療を施す。(浅草寺病院創設)
大正12 1923 9月1日大震災により念仏堂諸堂舎焼失。
昭和8 1933 3月10日本堂大修復成る。
昭和20 1945 3月10日未明の戦災により、本堂、仁王門、五重塔、輪蔵等炎上す。
昭和33 1958 10月17日新本堂落慶。
昭和35 1960 5月1日雷門落慶。
昭和39 1964 4月1日宝蔵門落慶。
昭和48 1973 11月2日五重塔・塔院落慶。
昭和58 1983 3月28日弁天堂落慶。
平成6 1994 10月20日影向堂落慶。26日写 経供養塔落慶(本堂西側境内地整備完成)